http://www.youtube.com/watch?v=E3aZmnZIOXI

Genre: ユーロピアンなポップス (部分的にエクストリーム・メタルやクラシックなど)
Length: 1分28秒 (余りパート37秒)
BPM: 199.5 (終盤は漸次減衰して余りパートの数値180に移行)
Key: A# minor (異称: A-sharp minor, 嬰イ短調, B-flat minor, 変ロ短調) (余りパート D Major ニ長調)

2018年11月21日から制作が始まって2019年中に作曲が完了したとみなされ、Sundarknessでの公開は2019年11月20日になる。
同日の絵の練習記事に「牡牛(雄牛)」の絵を公開して歌詞の注釈なども書いている。
http://masashi.doorblog.jp/archives/53489522.html#s1

2019年12月24日には"Nightcore"とされる1.2-1.3倍速での再生にドラムを付けた「リミックス remix」という何かのバージョンを動画で公開した。
YouTube: https://www.youtube.com/watch?v=z_r2Rb6wd90
SoundCloud: https://soundcloud.com/masashi00/cupiditas-nightcore


2019年11月20日の投稿動画の説明文を色付けして載せる。
自作の詩"Cupiditas"と、その歌える自作曲であり、当動画はその詩の歌唱と音楽を再生しながら視覚的に表現しています(2:07 からカラオケ karaoke, with piano roll of MAMPlayer を開始します)。
1:28 から2:07までは異なる調 key (D major, Re maggiore, ニ長調かつピッチ基準音pitch standard が 432 Hz。元はA# minor = B♭ minor, La diesis minore = Si bemolle minore, 嬰イ短調=変ロ短調) による音楽を再生しながら、注釈(発音の例外事項と最後のフレーズ・1行の典拠について。および経緯の日記)を表示する時間になっています。

詩"Cupiditas"と歌える自作曲のうち、冒頭の2行と伴奏の音楽は、2018年11月21日の「性的な夢」の中で再生されていたものに由来します。
投稿日は2019年11月20日 (時差=西海岸時間PT に対応させるために日本時間JSTの17時以降) として、当時から1周年の前夜です。
性的な夢に出たその牡牛くんを供養(現代的な意味で)するつもりで作った詩でもあり、当動画は1回忌とも言えます。
以下に歌詞を載せます。

おとこは おんなのようにいて
おんなは おとこのようにいて
ろおまの たびじにてみた風景 *1
かわいた すなちのうえのゆめ
ひつじが けがりをされる運命 *2
おうしは けがれたちちをたれた *3
ろおまは いまだみぬそのはて
こなたは あなとりあのかわべ
こぞみた あっしりあのゆうべ
くびきを はずさないでどみね *4
くぴぢた れんでぺるそねちぇけ *5

歌詞の注釈*15と絵の説明は横野真史公式ブログの最新「絵の練習記事」に載せています。

ここで、当動画用の説明をします。
詩形 (poetic form) は4 + 9 モーラ (morae = moras, mora) で1行 (verse) を形成するものです。
これには、この詩にちなんで"Cupiditas"(クピディタース or くぴぢた)と名付けましょう。
全体的に現代日本語の内容であり、韻を踏むこと (rhyming) については上掲の歌詞で1行の脚韻が /e/ (え段) です(例外について*3も参照)。

動画中のローマ字表記 (romanization) は翻字 (transliteration) と転写 (transcription) のハイブリッド (hybrid) です。
ここでは母音 /o/ に後続する単体モーラ「う」の扱いが多様です。
「よう (En: like)」は語源的に1語なので yo-o, 「のうえ (En: on, upon)」は別単語の連結なので no u-e, 「おうし (En: ox, bull, male cow)」は語源的に尊称接頭辞の付いた単語なので o-u-shi などと、ローマ字表記が分けられます。
実際にそういう弁別的な発音をします。
語源論的 (etymological, etymology)・意味論的 (semantic, semantics) ですが言語学の韻律論 (prosody in linguistics) にも係わる問題です。
動画中、こういった hyphenation をローマ字表記に用いようと思いましたが、単純な平仮名の対応の spacing のみに留めました。

全体で最後の1行のみ、日本語のモーラ数・拍数に近似する重音節 (heavy syllable) つき音節数を備えたイタリア語のようなフレーズになります。
現代の西洋言語にとって /ren/ や /per/ は1音節ですが、動画中かな Kana では /れん/ や /ぺる/ と表して2モーラです。
知られる限りはこれが古典ラテン語や古代ギリシャ語やサンスクリットのモーラ数測定の方法とも同じです。
/ren/, /per/ の精密な発音時間を isochrony の観点で計測すると、言語ごとに標準的な発音時間が異なると思いますが、目的によってどちらも形式的に2モーラかつ1重音節と扱います。
今までの日本語のフレーズ・1行が4 + 9 モーラであるように、この日本語でないフレーズ"Kupidita rende persone cieche" (イタリア語の例: La cupidigia rende le persone cieche.) も4 + 9 モーラとして測定できます。
かな表記のうち1モーラ発音の /ちぇ/ (che in Hepburn = Japanese romanization) は妥協して一般的な2字にします。
この綴りは歯茎硬口蓋破擦音 [t͡ɕ] から後部歯茎破擦音 [t͡ʃ] の発音を表現し、西洋言語のうちイタリア語では ceまたはcie (e.g. celeste, cielo; ceco, cieco), チェコ語では če (文字名のハーチェク háčekにも含まれる) などと子音字1つで表現することもできます。
最後になりますが、/che.ke/ = cieche は差別や侮蔑の意図をもって私が用いるのでなく、「絵の練習記事(上掲リンク)」に説明の通り、古代ローマのキケローさん Cicero の言葉"...nisi ipsos caecos redderet cupiditas et avaritia et audacia" (Rosc. Am. 35, 101) の借用であることは留意されたく思います。



2019年12月1日午前に書いてコメント欄に投稿した注釈文を色付けして載せる。

Pitch (altezza 音高) names in Italian and French: Do, Re ( in French), Mi... (after hymn Ut queant laxis) Japanese: Do, Re, Mi... (Kana: ド、レ、ミ…) English: C, D, E... 
Key (tonalità 調) names in Italian and French; Do, Re, Mi... Japanese: Ha, Ni, Ho... (Kana: ハ、ニ、ホ… after Iroha Uta, an old pangram poem in Japanese Kana letters) English: C, D, E... 
In Japanese, the names between pitch and key are irregular. And key names are difficult to understand/remember for people without music training (its interest). Japanese kids/children/students are taught pitch names as "Do, Re, Mi", and adults are remembering them. I think "Do, Re, Mi" names are easier to understand/remember key names for Japanese people. Thus I wrote "D major", "Re maggiore" (Italian) and "Ni-chōchō" (ニ長調) in the description in Japanese of the video. It have the important meaning. The Japanese tradition (about Western music introduced from 19th century) is respected, even though someone want to make key names "Do, Re, Mi"(e.g. Re-chōchō レ長調) like as pitch names. 
*There is a similar problem. Chord (和音) names are "C, D, E..." (e.g. D-mejā Dメジャー) in Japanese. Chiefly, fans and musicians of genres in popular music are using English names (for chord and key; when it comes to pitch names, some people use Do Re Mi...). In western classic music in Japan in Meiji-WW2, both chord and pitch names are "Ha, Ni, Ho..." (cf. 楽典教科書 p. 147, 入江好治郎, 1902. and 音楽理論講義 pp. 21–23, 門馬直衛, 1929), are the same as key names.



2019年12月24日の投稿動画の説明文を色付けして載せる。

I made a simple remix for my song "Cupiditas" (range 0:01-1:10). Would you feel it's a nightcore remix?
意訳「ナイトコアと言われる音楽1.2-1.3倍速再生ジャンルにドラムマシンの音を付け足すだけの簡単なお仕事です。"nightcore"ならぬ、"nine-y/o-core"または"nineteencore"の呼び方もありえます」

"Nightcore"とは?日本語版や英語版のWikipediaの内容とYouTube検索結果を見れば、だいたい分かると思う。

"Nightcore"の特徴とされる既存の楽曲の1.2-1.3倍速再生は、2008年に「ウマウマ (Uma uma)」として流行った音楽の原曲"Caramelldansen"に対して適用されていた速度と共通する。
私は2019年12月21日以前に名前だけしか知らず、それを冠する動画の内容を一度も見たことが無かった。
12月23日現在も私は、"Nightcore"を冠する動画を一度も視聴したことが無い。
その要因に、大衆音楽・商業音楽の売れ筋の曲(主にラップ系)に私の関心が低いことを考える。

"Nine-year-old-core"や"Nineteen-core"は、私が英語版Wikipediaの「David Turner of MTV described a nightcore remix of "7 Years" by Lukas Graham as...」という説明に付けられた出典のページの内容(quote: How Many Years Old? This "remix" is 10 years old. http://www.mtv.com/news/2886505/lukas-graham-7-years-remixes/) を見て連想したアイ韻 (night and nine) によるダジャレである。
ハイフネーション hyphenation の時は"Nine-years-old"という year 複数形を用いない。
"Nineteen"は teenager のこととして年齢の部分を省略した。

投稿日時はクリスマスイブ (Christmas Eve) に当たる(日本時間 JST)ので「メリー・クピディタス!」と言おう (Cupiditas は Christmas よりも音節が2つ多い)。
2:49からはボーナストラックとしてデスコア deathcore 楽曲"Eradicated"の動画を1.25倍速で再生する。

ところで、Google検索の入力欄に「だk」と入力すると3番以内に「だから僕は音楽を辞めた」という奇妙なサジェスト(検索候補)が出る。
何かしらの作品の名であるとしても、それ以上、何かは調べない。
この名が「何だから…(e.g., 争いが絶えない世界の音楽に虚無感を覚えた、金稼ぎにならない、モテたくて楽器演奏してもモテない、自己の演奏や作曲を侮辱された等)」と言うか、知る必要が無い。
私は中学生のころから日本の音楽界隈を低劣だと思うし(商業・同人を問わず。一般人・ファン・リスナーたちは勝手に競争して勝手に勝者や敗者を決めるのでJ-popはK-popに勝手に敗北した。オンリーワンとされるものをSmapもとい槇原敬之さんが説いてもファンらには浸透しない)、関わりたくない。
曲名・歌詞における日本語の使い方も、特定の社会層に対する差別を持つので、見るに堪えない。

しかし、音楽というラベリング・レッテル貼りのされた大衆音楽"popular music"を離れて自由に、好きな音楽に対する好きだという気持ちのまま努力・活動すればよい。
他人が消費文化の下でどう金稼ぎをしても、純心な努力家・活動家にとっては関係ない。
自身が好きだという気持ちを失っている上で他者に貢献できないことを憂える時、その人は音楽を潔くやめて他の労働に専念するしかない。
「何のために?」音楽をするか、その意義を分からない人々は、そりゃ、日本での音楽など友達ごっこ・馴れ合いまたは金稼ぎ以上の世俗的な価値が無いので、やめるほうが賢明である。
分かる人は(私には正しい意味での自己満足と古典音楽・認知科学の学術研究がある。宗教利用もある。社会メッセージもある。多くの他人は聴かないが)どこでも、好きに音楽をやればよい。

2014年に私(17歳)は「私が絵と音楽を手放す瞬間 儚き夢の幻想」というタイトルで自身の音楽活動の黄昏・終末論を説きもしたが、当時でさえ否定的である。
他者へ絵や音楽のコンテンツが公になる活動も、その結果がどうなろうと、環境が許す限りはやりたくてやるのみである。
人に絶望を与える事物・言論は即刻、世間から消え去ることを願うが、それは精神世界でのみ実現されるとだけ言おう。
こういう敗北と絶望の国土 dystopia から精神的に離れるために、まず"Cupiditas"のような歌は日本語と外国語をまじえたり古典的な詩の韻律や押韻に擬して翼を与えるのではないかと思う。
いくらか説明をしようと思ったが、動画に余計な情報を与えたくないので終える。

努力を損じる言葉は、何の分野についても、私は目にしたくない・耳にしたくない。
社会的な身分などは関係なしに(無条件に)人の命の尊厳は平等だし、人の努力の姿勢は尊重でなく尊敬されるべきものと私は言う。
聖夜(聖誕夜)クリスマス・イヴなので (Cupiditas? ...id autem Humanitas, Caritas est.)。
無論、この動画を1年以内に見る人数は、2019年12月24日の後に多いと分かる。

終 fin.